長生炭鉱の悲劇を後世に 歴史を刻む会、追悼碑序幕
宇部市西岐波の長生炭鉱で水没事故が起きてから71年。
正しい歴史を後世に伝えようとする長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(山口武信代表)などの取り組みで、
床波漁港近くに183人の犠牲者の名前が入った追悼碑が完成した。
2日には除幕式が現地で開かれ、遺族や関係者ら200人が犠牲者の冥福を祈った。
施設は床波1丁目の住宅が並ぶ一角にあり、コンクリート敷きのステージには、
2本のピーヤ(通気口)を模した日本人と韓国・朝鮮人犠牲者の追悼碑が立ち、中央に献花台と犠牲者の名前が納められた。
ステージ後方には刻む会と韓国遺族会による追悼文が刻まれた。
序幕後に遺族会による法要があり一般市民も次々と献花した。
同炭鉱で叔父を亡くした遺族会の金亨洙(キム・ヒョンス)会長(72)は「長い間、追悼碑ができず、本当に胸が痛かった。
刻む会、建立委員会など関係者の取り組みに感謝している。暗い海の底からいち早く引き揚げ、祖国に帰してもらいたい。
遺族の願いはそれだけだ」と語った。刻む会の発足から20年余り。
施設の建立にこぎ着けた山口代表(81)も「本当に良かったが、相互理解に向けての第一歩。
両国はとても近いので、いがみ合わないようにしたい」とした。
この後、会場をシルバーふれあいセンターに移して追悼集会を開いた。
遺族会による証言、朗読会「アポジは海の底」があった。
同炭鉱での事故は1942年2月3日、沖合い1`の坑道で発生し、183人が犠牲になった。このうち7割が朝鮮半島からの労働者だった。
犠牲者は引き揚げられていない。
宇部日報(2013年2月3日)記事を引用しました。

【 追悼碑 】
【 ステージ後方の追悼文 】




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