峨洋館と西岐波八景
にしきわ音頭の冒頭は「瀬戸の潮凪黄金の波に、みなと床波たから船。真鯛黒鯛いきいきと、みんな仲間にひとおどり・・・」で始まって いる。昭和五十四年七月二十一日、西岐波商工会が創立二十周年を記念して、この音頭を制定した。歌詞に象徴されるように、床波の港は昔から、出船入船が往き交じってにぎわった。港には今なを昔のままに波止の石組みの一部が残って いて、僅かに往時を偲ぶことが出来る。白砂青松は今は見られないが、その頃、堂崎から望む瀬戸内の眺めは絵になる風景であった。堂崎 にある向坂の高台から、その絶隹な風光を静處山人が詩にした「峨洋館八景」がある。
豊山暮雪 :豊山(九州・大分)の暮雪
新浦帰帆 :新浦の帰帆
江頭有照 :江頭の有照 :
神田落雁 :神田(今村)の落雁:
住吉秋月 :住吉の秋月
海印晩鐘 :海印山(西光寺)の晩鐘
瀬崎晴風 :瀬崎(東港)の晴風
玄岬夜雨 :玄岬(黒崎)の夜雨
峨洋館と呼ばれるのは、加藤精一邸の二階であった。この峨洋館では、毎月詩会をひらいた。床波のみならず、近郷の詩歌人が一堂に会し て、漢詩和歌の会を持った。次の者がその主な人々であった。 紀籐宗介(号を琴峰)藤田草湖、加藤精一(号を峨洋)西光寺通真住職(号を楓塘)道重信教(増上寺管長)三隅久吾(号を龍宮)本覚寺 工藤住職・中川、宮崎等の各氏であった。 この詩歌会の人々によって「峨洋館八景」は讃唱され、これが何時の間にか「西岐波八景」として、広く知られるようになったのである。
(引用:ふるさと西岐波 地域偏・床波 編集:宇部市西岐波ふるさと運動実行委員会 発行:昭和63年3月)
(図「堂崎半島と瀬崎」は同紙「塩田」の項から引用しました)
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