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宇部の地名の由来    八景の由来     郷土料理「けんちょう」の由来    けんちょうに似た郷土料理    いとこ煮

宇部の地名の由来

「宇部の地名の由来については、海辺が転訛(てんか)したとも、ムベ(トキワアケビ)が繁茂していたからとも、宇治部という古代部民集団の居住にちなむともいう」
(日本地名辞典)

宇部・松山町の舗道にて  ムベ 甘いが種が多い


故橋田信介さんのエッセイ集「ババボボ日記」より「バンコクのバカ殿宇部の謎に挑む」第2〜4話に宇部の地名についての考察がありました。
(01〜03年、旧ウベニチ新聞に掲載)
 第2話 宇部の地名は「宇治部」居住に由来 その宇治は何と石炭を意味
 第3話 美東町の製銅所と関連 宇部に「宇治部」存在理由
 第4話 銅精錬燃料に石炭 「宇部郷」は厚東川沿いの上流


第2話の最後に出てくる「日本国語大辞典」では、

うじ 石炭の異称。 *重訂本草綱目啓蒙(1847)五・石「石炭(略)うじ 江州」
(日本国語大辞典)

それでは「重訂本草綱目啓蒙」とは何かを調べると本草学や博物学では名の知れた書物のようです。

凡例「本書は、弘化4年(1847)刊『本草綱目啓蒙』(重訂版)の翻刻で、4分冊で刊行する。」(略)
巻之五 石之三 石類上
石炭 カラスイシ イハキ(長州) タキイシ モヘイシ イシズミ(筑前) イワシバ(筑前) 馬石(伊州 ウニ(伊州) うじ(江州) アブライシ(播州)(略)
和産ハ、筑前黒崎村、長州舟木村、奥州南部、加州白山、伊州、信州、和州、備後、予州等ノ国、皆産ス。
長州、筑前ノ産ヲ上品トス。(略)
(平凡社「重訂本草綱目啓蒙」1991年発行)
舟木村は舟木として今に名が残っています。
長州での呼び名「イワキ」とは岩木で木のように燃える岩の意味だろうか。
「うじ」と呼んでいた江州とは近江の国で今の滋賀県。


重訂本草綱目啓蒙 (じゅうていほんぞうこうもくけいもう)

小野蘭山 (1729〜1810)
 李時珍の『本草綱目』についての蘭山の講義録は,『本草紀聞』,『本草綱目訳説』,『本草綱目釈説』などと題するものが残されているが,このうち,筆記録の定本とされているのは,京都における蘭山の講義を記録した源九龍の『本草紀聞』である。
これをさらに蘭山の孫である小野職孝が筆記・整理し,その稿本を蘭山自身が検討したうえで,享和3年 (1803) から3ヶ年をかけて四十八巻・二十七冊として出版されたものが『本草綱目啓蒙』である。
 その後,再版本が文化8年 (1811) 〜文政12年 (1829) に出版されている。これは文化3年の江戸の大火で,初版の版木が消失してしまったようであるから,そのこともあって再び出版することになったのだろうと考えられている。
 第三版は,弘化元年 (1844) に梯南洋によって木活字版で出版されたもので,『重修本草綱目啓蒙』 (全三十六冊) という。
 第四版は弘化4年 (1847) ,井口望之校『重訂本草綱目啓蒙』 (二十冊) として出版された。これは泉州岸和田藩が藩の事業としておこしたもので,嘉永2年 (1849) には,井口望之編『本草綱目啓蒙図譜』 (山草の部,四巻二冊のみ) が藩から刊行されている。
(千葉大学附属図書館Webより引用しました)


本草綱目啓蒙 ほんぞうこうもく-けいもう ほんざうかうもく

 小野蘭山の「本草綱目」の講義筆記を孫小野職孝(もとたか)や門人が整理刊行した書。四八巻。 1803年刊。
 「本草綱目」の順序に従い多年の群籍の研鑽と実地調査観察による自己の見解を示す。日本の博物学に貢献。
(大辞林)


八景の由来

中国の洞庭湖にそそぐ瀟湘二川の風光をテーマにする「瀟湘(しようしよう)八景」という山水画のジャンルはよほど日本人の心をとらえたらしい。半ば様式化された入江の地相を縦糸とし、天気、点景の様相を横糸に織り上げられた天地人合作の八景は、多くの八景画を生んだばかりか、八景見立ての名所が次から次ぎへと現れた。
山水画の八景を手本として、明和九年(1500)に関白近衛政家が近江の八実景をこれに見立てたのえを皮切りに、西湖見立ての金沢八景をはじめ実に多くの八景が日本中に出現した。(略)
(中村良夫著 NHK人間講座テキスト「風景を愉しむ風景を創る」)

江戸時代元禄期(1700年前後)に明の僧心越禅師が神奈川県金沢近辺の景勝を選んだのが「金沢八景」である。
これらは狩野探幽・北斎・広重などによって描かれ全国的に有名になった。これにならって江戸時代後期から明治期にかけて日本各地で八景が選定された。


八景はいずれも同じ主題を使用している

水辺の夜の雨(夜雨)
山寺の晩鐘(晩鐘)
田に降り立った雁の群れ(落雁)
朝もやに煙る松林(晴嵐)
港に帰る漁船(帰帆)
夕日に照らされた遠くの山(夕照)
水面に映る秋の月(秋月)
夕暮れの雪景色(暮雪)


その起源は11世紀北宋時代に中国湖南省の洞庭湖に面した瀟湘(しょうそう)地方の景勝から選ばれた「瀟湘八景」にある。
その主題はそれぞれの季節の水に因んだ景色8題で、湿潤な江南の風土を水墨の微妙な働きによって描き分ける画題として、古来多くの画家達によって取り上げられてきた。
選者の宋迪(そうてき)をはじめ、南宋の牧谿(もっけい)・玉澗(ぎょっかん)、また日本では狩野元信・雪村・横山大観などの作品が名高い。

室町時代の明応9年(1500)に近衛政家が琵琶湖に遊んだ時、瀟湘八景に倣って琵琶湖の南・西岸から選んだのが「近江八景」であり、江戸時代元禄期(1700年前後)に明の僧心越禅師が神奈川県金沢近辺の景勝を選んだのが「金沢八景」である。
これらは狩野探幽・北斎・広重などによって描かれ、全国的に有名になった。これにならって江戸時代後期から明治期にかけて日本各地で八景が選定された。
(上記は「Web水戸・日立の八景」から引用しました)


郷土料理「けんちょう」の由来

はっきりしたことは分りませんが、
禅僧が中国からもたらしたとされる、宋音のケンチャン(巻織)という料理があります。
四国・香川県の郷土料理「けんちゃん」はその「ケンチャン」が由来とされています。
山口県の郷土料理「けんちょう」は「ケンチャン」が訛ったものなのか?
「ケンチャン」と「けんちょう」はずいぶん違った料理ですが、油で炒めるところは同じです。

「たべもの 日本史総覧」という本に、「けんちゃん」が汁物になると「ケンチン汁」である、と載っています。

また、鎌倉の建長寺が「ケンチン汁発祥の地」と言われることがあります。
建長寺は禅寺であるし、関係はあるのでしょう。
建長寺と「けんちょう」の発音が同じなのは偶然なのか。

「けんちょう」は精進料理で伝統的には、ダイコンと豆腐(あれば人参も)しか入りませんが、精進にこだわることはありません。


引用:「聞き書 ふるさとの家庭料理」( 農山漁村文化協会)
大正末から昭和初期に家庭の“おさんどん”を担った方々からの聞き書

本は当時の聞き書を今に再現、しかし、だいぶまえの話ではあります。

けんちょうに似た郷土料理 レシピは
参考図書にて
料理名 地名 調味料など 材料
けんちゃん 京都府熊野郡久美浜町布袋野 油脂 醤油 砂糖 煮干し 大根 にんじん ごぼう こんにゃく 油揚げ じゃがいも
けんちゃんおかず 鳥取県八頭郡智頭町山根 油脂 醤油 いり干し 大根 豆腐 にんじん ごぼう こんにゃく 里芋
けんちん 鳥取県西伯郡大山町坊領 油脂 醤油 大根 豆腐 にんじん ごぼう こんにゃく こんぶ 里芋
きんちん 鳥取県東伯郡東郷町川上 油脂 醤油 砂糖 塩 大根 豆腐 にんじん ごぼう こんにゃく こんぶ 里芋
けんちょう 山口県大島郡久賀町久賀山田油脂 醤油 大根 豆腐 にんじん 油揚げ
けんちょう 山口県阿武郡むつみ村高左下 油脂 醤油 砂糖 塩 いりこ 大根 豆腐 にんじん ごぼう 里芋
けんちゃん煮 徳島県海部郡由岐町阿部 油脂 醤油 砂糖 いりこ 大根 豆腐 にんじん ごぼう 里芋 油揚げ
けんちゃん 大分県東国東郡国東町下成仏 油脂 醤油 大根 生大豆の粉だんご にんじん 里芋 油揚げ

いとこ煮 レシピは参考図書にて
料理名 地名 いわれ 調味料など 材料
いとこ煮 富山県
東砺波郡平村上梨
親鸞聖人のご正忌である(月遅れの)11月28日は、おしちゃさま(お七様)の日といい、 各家ではいとに煮をつくって食べる。 味噌 小豆 油揚げ 里芋 ごぼう かぶ 大根 にんじん こんにゃく
いとこ汁 三重県
鈴鹿市稲生町塩屋
1月21日に「せこ」(組)の人が寄り合いを開き、いとこ汁をつくって食べる。 味噌 砂糖 煮干し 小豆 里芋の葉
いとこ煮 広島県
賀茂郡河内町小田
親鸞聖人のご正忌である1月16日前夜につくる。 塩 醤油 小豆 油揚げ 里芋 ごぼう 大根 にんじん こんにゃく こんぶ 豆腐
いとこ煮 大分県
日田市清岸寺
浄土真宗の家では、親鸞聖人のご遺徳をしのぶ「おとりこし」の行事には必ずいとこ煮をつくる。
このころとれる根菜類に、親鸞の好物でだったといわれる小豆を組み合わせた煮ものである。
小豆 里芋 大根 ごぼう れんこん こんにゃく
いとこ煮 山口県
萩市堀内
冠婚葬祭などの客ごとのときに必ずこしらえる。
慶事には紅白のだんごと蒲鉾、仏事には白だんごのみを入れる。
砂糖 塩 小豆 白玉粉 麩 干し椎茸 こんぶ
煮ごめ 広島県
広島湾沿岸
ご正忌の前夜1月15日の御逮夜(おんたや)につくる。 醤油 砂糖 小豆 油揚げ 里芋 ごぼう 大根 にんじん れんこん こんにゃく しいたけ

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